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忠清南道の沿革

先史時代~
三韓時代

先史時代

  • 紀元前10世紀以前から数万年前までにおよぶ、旧石器時代の遺跡が公州石荘里で発見されたことからみて、忠南地域には旧石器時代からその歴史が始まったことが分かります。

三韓時代

  • 馬韓の54国のうち目支国(現在の天安市稷山邑一帯)をはじめ、約15ヶ国が忠清南道にあったと推定

三国時代~
高麗時代

475年

  • 文周王1年 百済の首都を漢城(現在のソウル)から熊津(現在の公州)に遷都

538年

  • 聖王16年 百済の首都を熊津から泗沘(現在の扶余)に遷都

660年

  • 義慈王20年 羅唐連合軍により百済が滅亡、熊津都督府を設置

671年

  • 文武王11年 所夫里州(泗沘州)に改編

686年

  • 神文王6年 熊川州に改称

757年

  • 景徳王16年 熊州に変更

後三国時代

  • 甄萱が建国した後百済の領域に属する

983年

  • 高麗が後三国を統一した後、成宗3年に12牧制の実施により公州牧を設置

995年

  • 成宗15年 10道制に改編。熊州(現在の公州)、運州(現在の洪城)などの州・県からなる河南道を設置

1106年

  • 10道のうち、関内道・忠原道・河南道の3道を統合して楊広忠清州道を設置

1171年

  • 楊広州道と忠清州道を分離

1314年

  • 忠清州道を楊広道に還元

1356年

  • 恭愍王6年 忠清道に変更(高麗末期に楊広忠清州道を略して楊広道または忠清道を併用したものと推定)

朝鮮時代

1396年

  • 楊広道が京畿道と忠清道に分離

1505年

  • 忠清道を忠公道に改称

1550年

  • 忠公道を清洪道に改称(以後、忠清道は公清道、忠清道、公洪道、清洪道と公忠道へ改称)

1834年

  • 公忠道を再び忠清道に改称

1896.8.4

  • 8郡から13郡に改編(忠南が設置)

1930~1940年代

1932.10.1

  • 道庁を公州から大田に移転

1938.10.1

  • 論山郡論山面、舒川郡長項面を邑に昇格設置 (1府14郡6邑167面)

1940.11.1

  • 礼山郡礼山面を邑に昇格設置 (1府14郡7邑165面)

1941.10.1

  • 牙山郡温陽面、洪城郡洪城面を邑に昇格設置 (1府14郡9邑163面)

1960~1970年代

1960.1.1

  • 扶余郡扶余面を邑に昇格設置(1市14郡12邑16面)

1963.1.1

  • 全羅北道錦山郡を忠南に編入
    論山郡錬武面を邑に昇格設置
    天安邑を天安市に昇格設置 (2市15郡15邑164面)

1973.7.1

  • 礼山郡挿橋面、唐津郡合徳面、瑞山郡泰安面、天原郡成歓面を邑に昇格設置

1979.5.1

  • 舒川郡舒川面、青陽郡青陽面を邑に昇格設置 (2市2区15郡23邑156面)

1980~1990年代

1980.12.1

  • 瑞山郡安眠面を邑に昇格設置(2市2区15郡24邑155面)

1983.2.15

  • 15地域の邑面間境界を調整(2市2区15郡23邑154面)

1985.10.1

  • 天安郡聖居面を邑に昇格設置(2市2区15郡24邑153面)

1986.1.1

  • 公州、大川、温陽邑を市に昇格設置

1989.1.1

  • 大田市と大徳郡を大田直轄市に昇格・分離
    瑞山邑を市に昇格設置
    瑞山郡から分離、泰安郡

1990.2.1

  • 忠清南道鶏龍出張所を設置

1995.1.1

  • 公州市・郡、大川市・保寧郡、温陽市・牙山郡、瑞山市・郡など8市郡を4市に統合(5市、11郡)

1995.5.10

  • 天安市・郡を天安市に統合 (5市10郡)

1996.3.1

  • 論山郡を市に昇格 (6市9郡22邑147面37洞)

2000~現在

2003.9.19

  • 鶏龍出張所が鶏龍市に昇格(2面1洞)

2005.3.18

  • 行政中心複合都市建設特別法を公布(燕岐郡南面・錦南面・東面、公州市長岐面·反浦面一帯)

2006.2.12

  • 道庁の移転地が決定(洪城郡洪北面・礼山郡挿橋邑一帯)

2012.1.1

  • 唐津郡が市に昇格(2邑9面3洞)

2012.7.1

  • 燕岐郡と公州市長岐面・儀堂面・反浦面を世宗特別自治市に昇格・分離

2013.1.2

  • 道庁を大田から内浦新都市に移転